北京(2003/01/31)
eawind
この旅を理由に仕事を退職したのは先月のこと。それまで、実家を離れ高円寺での一人暮らしの生活の中、無駄遣いはせず貯めてきた資金は最後のボーナスで目標額の100万円に達していた。まったくの未経験から始めたプログラマの仕事が「石の上にも」というように、3年を過ぎたばかり。これであれば再就職も大丈夫だろうという風に打算的になっていたので、仕事を辞めることにまったくの未練はなかった。
朝の11:00に家族に見送られながら実家を出発し、横浜の関内まで行って、ここ二週間に渡って行っていた予防接種(A型肝炎、狂犬病、破傷風)を受けた。予防接種は旅先での感染病を心配した中学時代の友達の紹介で、通っていたが、今日がその最終日だった。出発当日のため、時間がなくなり、接種ができないかと気にしていたのだが、そんな心配をよそに、無事済ませることができた。その後、横浜13:38始のJRに乗り、成田空港へと急ぐ。成田エクスプレスは速いが高い。イギリスまでの道のりを考えると物価の高い日本での浪費は後々響いてくることを考えての理由だった。ちなみにバスは昔から車酔いの癖があるので避けたいところだった。電車の中は割りと空いており、日常の足として使っている人もそこそこいたのではと思う。旅行鞄をもった学生風の乗客が少しいた程度か。なんにしてものんびり2時間席に座りながら空港に向け移動することができた。
成田空港駅に着いたのは4時少し前のこと。成田空港では以前の職場の同僚が仕事を早めに切り上げて、ひとり見送りに来てくれた。彼と空港のレストランで夕飯をとり、記念撮影をして、5時くらいには搭乗手続の列に並んだ。気をつけて無事帰ってくるよう友達は激励してくれた。出発は18:05の予定だった。ただ、理由はわからないが、なかなか飛び立つまでに時間がかかって、結局、飛び立ったのは18:30を少し過ぎたあたりだったような気がする。それからは順調なフライトだった。機内は旧正月の大晦日ということもあり、満席になっていた。機内ではアメリカの映画を中国語字幕で放送しており、その字幕を見ながらしばらくは時間を潰していた。自分が座った席は窓側の3人掛けで、一番通路側にあった。隣の席には中国人の彼と日本人と彼女のカップルが座っていて、飛行時間の半分を過ぎたあたりから、向こうから声を掛けてきたのをきっかけに、少しの間、雑談をした。
飛行機が北京の上空に差し掛かると、花火が打ちあがっているのが見えた。上空から見下ろす花火は初めてだったが、きちんと花火の形をしていた。中国では爆竹もさることながら、正月に花火を打ち上げる風習があるとのこと。北京空港への到着は21:30少し前だった。といっても、中国の時間なので、日本時間にすると1時間進んで、22:30になる。腕時計には日本時間とは別に設定できるデュアルタイム機能がついていたので、中国時間をそこに設定しておいた。現在は状況が変わったようだが、当時中国元は海外では両替できなかったので、ターミナルに着くとすぐに、先の機内で知り合ったカップルに空港内の銀行の場所を教えてもらい、現地通貨を手に入れた。ちなみに、中国の空港では日本円への両替が可能だった。
それからもうひとつやらずにいたことがあった。旅を始める以前に読んでいた沢木耕太郎著「深夜特急」に倣って、最初の晩の宿は決めずにいた。また、1年半に渡って習得した中国語の実力を試すべく、ガイドブックの類もまったく持たずに臨んでいた。まずは相場を知るためにも、空港の旅館案内所に聞いてみた。私の中国語がイマイチだったのは兎も角、何とか無難なところに決まりそうになるかならないかの時に、同い年くらいのアジア系の青年が英語で話し掛けてきた。“Are you Japanese? Let’s go to Wang-fu-jing together!“彼らは一見日本人にも見えなくなかった。「日本人か?」と英語で聞きながら、日本語を話すことがないので、韓国人あたりかと当初思っていた。大陸の中国人にしては服装が欧米風すぎたからだった。だが、彼らの口から時に中国語らしきものが出てくる。しかし、私が知っている単語はひとつとして出てこない。英語で引き続き話をしてみると、何でも「王府井にある旅館に泊まる予定があるのだけれど、一緒にとまれば君は安く泊まれるし、我々も安くなるのでどうだい?」といった内容であることが理解できた。彼らは全員で五人で、若い3人と年配2人の家族的な男女混合組みだった。とりあえず、悪い人たちではなさそうだったので、ついて行くことにした。どうせ北京の中心部までは行かねばならなかったので、それまでの良い話相手ができたと思えばよかった。
北京空港から北京の中心部まではバスかタクシーを利用しなければならない。現在、地下鉄を連絡しようと工事中で、2008年の北京オリンピックまでには完成するようだ。彼らの勧めで、一緒にバスに乗り、市内中心部まで向かった。バスの中で若い3人と自己紹介をしあう。3人のうち二人は男性でニッキーと建といい、もう一人は女性でピエンといった。さらに年配の二人は健君の両親だという。何でも彼らは香港人でハルピンの友達に会うためにここまで来たそうで、2月3日にハルピンへ向かうという話をしていた。それまでは一緒に泊まることが可能なのでどうだ?と言った。料金は3日間で295元、一日で100元未満。北京のホテルの相場が150元と聞いていたので、思ったより安く泊まることができた。1元が15円弱だったので、1泊1,500円しないくらいだろうか。しかも場所は王府井近くの賑やかな通りに面したロケーションの良いところであった。
今年は2月1日が旧暦のお正月にあたるので、中国全土でこの日は大晦日として特別な日だ。だけれど、町には車通りは少なく、人もほとんど歩いていない。夜遅かったせいもあるとは思うが、日本のお正月とはずいぶん違う。聞いた話によれば、中国の方々は大晦日には家で家族と一緒にゆっくり過ごすのが普通らしい。日本人であれば夜中に初詣に出かける人が多いのと対象的だ。ホテルにチェックインした後、みんなと隣の建物にあるレストランに、遅い夕食を食べに行った。もうそのころは0:00を過ぎるか過ぎないかの時間で、お店にはテレビが置いてあって、日本の紅白みたいな歌番組をやっている。建君のお父さんに空港の免税店で買ったものらしいコニャックを一杯勧められ、北京ダックや餃子、とてつもなく辛い牛の焼肉などをみんなで食べた。
その後いったんホテルに引き返して、まもなく三里屯という東京で言えば六本木みたいなところにあるディスコに行った。何でも、ピエンが言うにはフェイ・ウォンがよく来る店だそうで、とても繁盛していた。しかし店の音量が大きくてほとんど話ができない。店のつくりとしてはディスコというより普通のバーのようでテーブルもところ狭しと並べられており、ダンススペースはないに等しい。それなのでテーブルの上にのって踊っている人がたくさんいた。ビールを飲みながら店のなかをながめていると、ニッキーが話しかけた女の子が日本に留学中の二人組みで、ここに日本人がいると私に紹介してきた。綺麗な女性達で日本語も流暢に話す。やはり正月で帰省中らしく、日本では大学に通っていると言った。しかし、店の中はうるさくてまともに話ができる状態でもなく、ニッキー達も退屈そうだったので、店を出ることにした。時刻はもう朝方の4時になっていた。明日は天安門広場で行われる早朝の国旗掲揚式があるので、それを見るために早起きをすることになっていた。新年快楽!