北京(2003/02/03)
eawind
今日はニッキー達がハルピンに向け出発する日なので、一人で泊まる宿を見つけなければいけない日になった。親切にもニッキーが部屋を探してくれて、天安門広場の南側にある前門の一泊120元の宿を見つけることができた。
ここには2日滞在するようにチェックインした。その後、ニッキー達と夜まで一緒に行動する約束だったが、部屋に行ってロビーに戻ると誰もいない。数十分待っても誰も来ないので、これははぐれたと思った。
しょうがないので、これを機会に前門付近をぶらぶらして、今後の情報集めにインターネットカフェに入った。このネットカフェは外国人向けで、店員が英語を話し、日本語入力も問題なくできた。だが、値段は一般のより割高で1時間20元だった。家族に無事ついたことをメールし、次に入国予定のカザフスタンのビザが必要だったので、カザフスタン大使館の場所も調べておいた。それは初日に行ったクラブのある三里屯にあった。昼食は四川料理の店で真っ赤なスープの坦々麺を食べ、2時間が経った。
宿に戻ってみると、フロントの人が声を掛けてきた。そうしたら、ニッキーの書置きを見せられ、英語で「どこに行ったのか探している。五時から五時半にまた戻るので、そのときにここに居て。」という風に書いてあった。それなので「自分はこれからずっとここにいるので、呼んで下さい。」という風に書き込みしてフロントに返した。
しばらく待っていると、「シンイチ!」という大きなニッキーの呼び声が聞こえて、みんながやってきた。僕はごめんなさいを連呼するしかなかった。そもそも、はぐれた原因は部屋探しをしていた僕とニッキー以外の人たちが前門で待っていたことを私が聞き取れていなかったからだ。宿が決まったら、彼らも僕の旅館に荷物を置いて観光するつもりだったので、ニッキーは彼らを呼びに外に出た。でも、僕はそれを誤解して、てっきり置いて行かれたと思ってしまったのだ。まあ、何はともあれ、無事に再会することができた。
その後、北京駅付近の高級中華料理屋に行って、昨日バスの中で出会った女性三人組も合流して一緒に夕飯を食べることになった。このあたりから、僕のおなかに異変が起きた。どうもおなかが痛い。そしてトイレに行きたい。何とか夕食を食べるも我慢しきれず、トイレに駆け込むと、ほんとに水のようなものしか出てこない。かなりの下痢である。苦しいながらもとりあえず出るものを出し切って、トイレを出ようとすると、カギが壊れて、出ることができなくなった。長いトイレを気にしたニッキーがやってきてどうしたのかと聞かれたが、どうやっても開かない。ニッキーがドアを壊せと言い、思い切ってドアを蹴破って出ることができた。店員が大きな音に気づきやってきたが、ドアが壊れていたことを説明すると、それ以上は何も言われなかった。夕食を食べ終えると、ニッキー達とはお別れとなった。別れ際に、香港に行った際は、必ず連絡すると彼らに伝えた。
帰りは、残った香港女性三人組と一緒に帰ることになった。お腹が痛いことを伝えると、正露丸を一瓶まるごとくれた。非常に感謝感激であるが、正露丸が香港でも売られていることを初めて知った。香港の人に日本の正露丸を日本人である私が貰うことになんだか変な感じを受けていたところ、彼女らは明日、一緒に観光しないかと誘ってくれたので、またまた甘えることにした。それなので、まずは彼女らのホテルに行って、明日の観光計画を練ることにした。このとき相変わらず僕のおなかの調子は悪い。彼女らのホテルはケリー・センター・ホテルといって、かなり新しくて高級そうなホテルである。そこのロビーで明日の予定を決めると、地下鉄に乗りホテルまで帰った。その日寝るまで、相変わらず腹の調子は悪く、何度もトイレに行った。多分連日の疲れと健君のお父さんが勧める毎食のアルコールに、昼に食べた坦々面がとどめをさして、下痢になったのだろう。後は、中国の硬水に慣れなかったことも原因かもしれない。