大連(2003/02/06)
eawind
朝の7時には大連駅に到着した。大連は日本で中国語を教えてくれた二人の先生の実家があり、彼らの友達に会うためにやってきた。駅に着くや否や、大勢の旅館や観光ツアーの客引きが取り巻いて、その中の一人が結構しつこい。何だかんだで一晩100元で泊まれるホテルがあるというので、見せてもらいに行くことにした。だがそこは空きがなかったので、別のホテルに泊まることにした。そこは国泰大酒店というホテルで一晩140元だった。まあ、高くはない。ホテルは16階建てで、結構大きかった。おとといの夜は北京のホテルのマネージャと話しこんで風呂に入っていず、昨日は寝台列車に乗っていて、やはり風呂に入れなかったので、朝方このホテルに着くや否や風呂に入ることにした。ちょっとびっくりしたのは、お湯を出すと錆びの混じった黄色いお湯が出てくるということだ。しかし、しばらく出しっぱなしにしていると黄色くなくなったので、何とか入ることができた。まあ、安宿めぐりをしているので、文句は言っていられない。また、列車の中では良く眠れず少し寝不足気味で、体調も良好とはいえなかったので、昼寝をすることにした。
夕方前の3時くらいまで寝た後、外に出て先生の友達に電話をかけた。その後、港に出てみようと、少し散歩をして大連造船廠まで行った。
この大連の港の風景は小さいころに見た横浜あたりの風景に似ている。今でこそ、横浜は小奇麗になってしまったが、20年くらい前はみなとみらいの近辺は貨物鉄道の停車場があって、古い工場がたくさんあった。そんな風景が今ここ大連にある。もともと、大連の町は日露戦争後日本がしばらく40年ほど統治していたというから、その辺でよく似ていると感じるのは当然かもしれない。
散歩から一旦ホテルに戻って、再び夕食を食べに外へ出る。今日は餃子を食べて、ビールを飲んで帰ってきた。店では国内サッカーリーグの中継をやっていて、何人かの客が酒を飲みながら観戦している。一人で食事しているのが目立ったのか、声をかけられて、どこの人間かと聞かれたりした。日本人であることを伝えると、なんだか忘れたが片言のロシア語を話していた。餃子は少し量が多すぎて、残してしまったら、親切にも店員が残りを袋に詰めて渡してくれた。ホテルに持ち帰り、置いておいたら結構それが臭った。