ウルムチ⇒アルマティ(2003/03/10)
eawind
目を覚ますと列車はアラシャンコウ駅に停車している。ここは国境の町だ。昨日の夜に辛い拌面(焼きうどん)を食べたのだが、これが結構辛くて、今日のおなかの調子はあまり良いものではない。とりあえず、トイレに行こうと思いきや、停車しているためトイレの使用は禁止されていて、鍵が掛けられている。このままではマズイと思ったので、車掌にお腹が痛いからトイレに行かせてくれとせがむ。こちらの痛々しいそぶりを見て、駅のトイレまで行かせてくれる。但し車掌の見張り付きでだ。
ひとまずトイレを済ませて戻ると、人民解放軍がやってきて何をしていると咎められる。車掌がトイレに行っていた旨を伝え、特に何もなく車内に戻る。ここからが長かった。まずは国境警備員がやってきて、パスポートを回収する。それから荷物チェックを行う。カバンの中身を全部出してチェックさせる。そのあと軍がやってきてまた別の荷物チェックを行う。しかし、またまたお腹が痛くなってきて再度車掌にせがむ。今度は人民解放軍の見張りつきでトイレへ急行する。戻ってきて長い間、個室で待機していた。
外は朝靄に包まれ、寒い。ホームにはライフル銃を持った軍人が数十メートル間隔で並んでいる。ちょっと緊張感に包まれた駅の風景を眺めながら時間が過ぎるのを待つ。
停車から3時間以上たってようやくパスポートが戻ってくる。そして出発する。20分くらい走ると、荒野に鉄条網が張ってあり、ここが中国とカザフスタンの国境だと判別できる。しばらくして、カザフスタン側の駅に到着した。噂に聞いていた賄賂攻撃にあうかと思いきや、そんなこともなく、荷物チェックも大してなく国境をパスすることができた。それとは反対に乗客の中国人に対しては結構取り締まりがきつく、まずはエイズの検査結果表を提出しなければならない。それから荷物チェックは隅々まで調べられる。汪さんはこの不平等さに不満の声を漏らしていた。たびたび中国の人と話をしていると、入国しやすい国が多いということで、日本人をうらやましがる声を聞く。中国人は他国に入るとき、ビザや何やらで、結構動きにくいそうだ。
ここでは2時間くらいのチェックのあと、再び出発する。ようやくトイレにも行けるので、昼食をとる。しかし何も持ってきていない。中国国内の列車では、車内で快餐と呼ばれるお弁当や、飲み物、カップラーメンなどなど物売りはたくさんいたが、この列車ではまったくなにも売りに来ないものなのだという。なにも食料を持っていない自分を見て別のコンパートメントに乗っていた中国人学生が肉とパンとりんごをくれて、それをいただくことにする。汪さんはカップラーメンをくれる。中国の人はこういうとき本当に親切である。
またしばらくして停車する。今度は何かと思いきや、車輪の交換をするのだという。カザフスタンのレール間の幅は中国のそれより広いため、この作業が必要になるのだそうだ。そういえば、ウルムチであった北海道大学生もこの作業のことを話していた。いっそのこと、乗ってきた列車を乗り換えればこんな作業をやらなくてすむのだが、その作業が数時間にわたって続く。あるいは山形新幹線みたいに列車に二つの規格の車輪を同時にもっていればいいのかもしれない。とりあえず、何もすることがないので昼寝をして過ごす。たまにガクンと車輪を交換するときの振動がして、目が覚める。
夕方5時くらいになってようやく作業が終わり、列車が出発する。荒野をしばらく走ると、湖や雪化粧した山々が見えてとてもきれいな場所を通る。汪さんが私のノートパソコンに入っているフリーセルにハマりだして、飽きずに長い時間やっている。そうするとそれを見物しに車掌達や乗客がどっさりコンパートメントに入ってきて、みんなで性能はどうだとか、日本で買うとどのくらいの値段だとかいろいろ聞いてくる。こちらはいつ壊されるか、あるいは彼らには悪いが、万が一盗まれるか、心配で冷や冷やだったが、夜の半ばにはみな寝床に戻って行った。いろいろとあった一日に疲れて果て、僕も寝ることにした。でも、ぼくが寝ても汪さんはずっとフリーセルをやり続けていた。