アルマティ⇒ビシュケク(2003/03/20)
eawind
朝方、いつものようにフロントに湯沸し機を借りに行って、中国で買ったジャスミンティーを、やはり中国で買った茶のみ瓶で飲みながら、ピロシキや菓子パンを食べる。朝食を済ませると、4番の市電に乗って旅行代理店に行く。ここで、ロシアのビザを受け取り、一旦宿に引き返す。
荷造りをして、タルガート君に教わったロシア式の旅立ちの儀式(一旦椅子に腰掛けて、忘れ物はないかを確認する)をした後、やはり4番の市電に乗りバス停まで行く。公営のバスの値段と出発時間を聞くと、360テンゲで、15:00と22:30の二本のバスがあるという。ただし、15:00の便はすでにチケットがなくなっていたので、私営のバスを探す。値段は500テンゲですぐにも出発するという。迷わずこれに乗る。
バスは荒野の一本道をひた走る。途中、トイレ休憩にサービスエリアに入る。トイレが10テンゲで、こんなところで金を取るのかと訝しく思う。中国でもそうだったが、比較的お金を取る公衆トイレが多い。
道は一旦山道になる。かなりの急勾配が続き、満員のバスのエンジンはフル回転で登っていく。後ろの席に座った小さな女の子達がはしゃいでいる。友達になろうと、持っていたカメラで写真を撮ってあげる。
両替所でバスは停まる。このあたりの国では自国通貨の持ち出しは禁止されていると聞いていたので、カザフテンゲをキルギスソムに両替し、一部のテンゲをリュックの奥深くに隠しておく。そして検問所。
まずはカザフ側にあるパスポートコントロールに到着。NIS諸国(New Independent States:旧ソ連邦からの独立国家群)民のカザフスタン人やキルギス人はパスポートを見せて終わりだが、日本人の自分は時間を要する。別の部屋に通され、キルギスのビザはいらないのかと聞かれる。前もって得ていた情報だと、ここでの国境警備員はパスポートが不要になっていることを知らない日本人から賄賂を要求するとのことである。僕は警備員に対し「日本人にはビザは必要ない」と答える。賄賂攻撃に遭うかと思いきや、そんなことなく割とあっさりパスできた。その後、キルギス側の検問があるが、これはパスポートをさっと見せて終わり。
しばらくして、キルギスの首都ビシュケクの町に到着する。所要時間は4時間くらいだったか。地図を買おうと思って、売店を何店舗かまわるが、どこにも売っていない。最後の売店で地図のことをたずねると、「どこに行きたいのか?」と店の主人に聞かれ、あらかじめ調べていた宿の場所を教える。そうしたら、近くまで行くバスを拾ってくれて、礼を言って別れる。
一軒目の宿を訪れると、ドアが閉まっていて、呼び鈴を押しても、ドアをノックしても返事がない。諦めて、別の宿を探す。そのすぐそばに、これもやはりあらかじめ調べていたサリ・チュレックというホテルを発見し、値段を聞いてみる。これが400ソム。アルマティのゾルデに比べると、3倍する値段だったので、ちょっとためらったが、時刻はもう夕方になっていて、これ以上探すのも躊躇われたので、ひとまず一泊することにした。
宿の料金を払うと、手持ちのソムがなくなりつつあったので、バザールにある両替所に行く。途中道がわからなくなり、通りを歩くおばさんに尋ねてみる。彼女は大学の講師をしているそうで、少し英語がわかる。さらに親切にも両替所の前まで一緒に付いてきてくれる。しかし、もう7時過ぎになっていたので両替所は閉まっていた。それなので、翌日行くことを伝えて、途中まで帰り道をともにする。彼女は大学でキルギスの歴史を扱っているそうで、このビシュケクの町は1924年にロシア人の入植で造られたそうで、以前は別の場所に中心となる都市があったと教えてくれた。
このおばさんと別れて、しばらく歩くと二人の警察官がいて、声を掛けられる。パスポートを見せると、ビザを持っていないのかと尋ねられる。日本人はビザの必要がないといっても納得してくれない。数分尋問されて、こちらが譲らないのを見てか、ようやく開放される。しばらく歩くとまた別の警官二人組みが道に立っている。今度は呼び止められずに済む。この調子では夜はあまり外を出歩かないほうがいいだろう。尋問攻めに遭いそうだ。
宿に戻ると、水の出が悪く、且つ常に少量の水が出っ放しになってしまうシャワーを浴びた後、休むことにした。