アルマティ(2003/03/22)
eawind
今日はイスラム教のお正月に当たるらしい。日本のお正月と、中国のお正月、それにカザフスタンのお正月と、今年は3度もお正月を迎えることになった。まずはアルマティ第二駅に行って、モスクワ行きの切符を買う。モスクワ行きの列車は偶数日に出発するようになっていて、料金は18,333テンゲである。出発は24日の朝方で、27日の10時過ぎに到着する予定である。25日からロシアビザが有効になるが、24日中はまだカザフスタン領内を走るので問題ないという。切符を得ると、トロリーバスに乗ってラムストールまで行き、インターネットを見る。どうやらイラクの戦争が始まったらしい。旅に支障が出ないことを祈ろう。
その後、市民ホール前でお祭りをやっていたので少し見学してから、市電に乗ってバザールに移動する。ここで、ケバブを食べ、チャイを飲む。しばらくすると合い席に1人の中年の白人と2人のカザフスタン人が座ってくる。みんな英語を話している。白人の中年が座るとテーブルが揺れて、自分のチャイがこぼれてしまう。向こうがゴメンと謝ってきて、こちらがどこからの人ですがと訪ねると、白人の中年がドイツからと答える。自分は食べ終えたので自分の料金を払おうとすると、いやいやといって代わりに払ってくれる。もう少し話をしていると、食品関連の企業マンで三週間カザフスタンに出張で来ているそうだ。ありがとうと行ってこちらは席を立つ。帰りも市電に乗って宿まで引き返す。今日は休日なので、表は昼からビールを飲んでいる人が多い。つられて、近くのスタンドで瓶ビールを買って宿まで引き返し、午後は日記をつける作業と、昼寝に費やした。
少し多めに寝てしまい夕方に目を覚ますと、夕食を買いに外にでる。帰って、宿の部屋での食事を終え、今度は飲み物を買いに外に出る。戻ると、フロントにアメリカ人がいて、あれこれと英語で会話する。何でも、友達とはぐれたらしく、これからその友達を探しに、カフェまで行くという。ついでに飲みに行かないかと誘われ、OKをして付いていった。
彼はアルマティから列車で二時間ほど行ったところにある小さな町でボランティアの英語教師をしているそうで、この週末にカザフスタンの英語教師たちが集うカンファレンスがあるために来ているそうだ。10ヶ月カザフスタンに滞在し、かなりのロシア語を話す。何でも、二ヶ月くらいカザフ人の家にホームステイして特訓したのだという。タクシーを拾って、少し離れたカフェに行く。しかし彼の友達はそこに居らず、ジョッキビールを一杯飲む。ちょうどこの日の一日前にイラクでの戦争が始まったので、彼にこの場所で怖い思いをすることはあるかと聞いたが、カザフでは安全だと言っていた。なんでも昨日から会う人会う人に戦争についてどう思うかを聞かれるらしく、なかなか答えるのが難しい質問だといっていた。ひとまず、早く戦争が終わることを願っていると言っていた。逆に「日本はアメリカを支援してくれている。そうだよね。」と聞かれ、イエスとは答えたものの、頭の中からそれ以上の意見は出てこない。とりあえず、日本はアメリカに追従するものでしかない時代だし。ひとしきり話し終え、飲み終わったところで、店を離れる。
彼は友達のいるカフェの名前を知っているらしく、何台ものタクシーの運転手に尋ねるが、なぜか誰も知らない。これからどうすると聞かれ、とりあえずもう一杯くらいビールが飲みたかったので、もう一軒行ってビールを飲んだら帰ろうということになる。今度は宿のそばのカフェテリアでかなり美味い現地の黒ビールを飲んで、宿に引き返す。
彼は部屋まで付いてきて、しばらくするとスイス人のパトリックも帰ってきて、三人であれこれと話をした。しかし、要所要所は聞き取れるが、話のスピードが速くて、とてもついていけず、ましてやこちらから会話に割り込むこともできず、自分の英語力のつたなさを痛感する。10年以上も英語を勉強してきて、まあ大概の日本人がそうであるように、普段使うことがないから、自分の英語力は上達しないのだと改めて思った次第である。とりあえず、1時間くらいカザフのことを中心に話しをした後、アメリカ人の彼は帰っていった。そして酔っ払っていたのですぐにベッドに入ると眠りに入った。