アルマティ(2003/03/23)
eawind
今日はカザフで行動できる最後の日である。だけれど、これと言って行きたい場所もなく、ひとまずラムストールに行って買い物をして、今度はバザールに行って買い物をして、そこの昨日も行った安いウイグル食堂でシャシュリク(ケバブ)を食べチャイを飲んで午後には宿に帰る。そして日記をつける。
夕方になると、いつも行く中央の大きなバザールではなく、宿から歩いて10分くらいのところにあるバザールに行く。惣菜屋を見つけて、入ってみる。店のおばさんがニンジンのサラダを小皿に盛って見せ、試食してみろと言う。食べてみると美味しくはある。拙いロシア語を喋っていると、お前は韓国人かと言われる。いいや、日本人だと答える。それにしても中国でもそうだったが、自分はよく韓国人に間違えられる。僕のルーツは韓国にあるのだろうか???惣菜が美味かったので、買おうと思ったが、300グラムからしか受け付けてくれないので、試食してしまったけど、申し訳なく断って店をあとにする。
結局いつも行く店に行ってチキンとサラダとピラフを買う。部屋に戻って、湯沸器を借りて、いつものように夕食を取る。ウルムチで買った茶瓶でジャスミンティーを飲む。
食事が終わったので、借りていた湯沸器をフロントに返しに行くと、大勢の少年たちが屯っている。少年の一人が学校で習いたてなのであろう英語でいろいろ質問してくる。「どこから来た」とか「何をしている」とか「どこから来て、どこに行く」とかである。話をしていると、どうやら彼らはカザフスタンのプロサッカーチームのユースに所属しているらしく、それぞれが違うチームに所属していて、アルマティに何かの集いで来ているようだ。
日韓共催ワールドカップやそのときの日本対ロシア戦、それに中田のことなど、話題に上る。一時間ほど話して、写真を持っているかと尋ねられ、部屋から持ってきてみんなを写す。ちょうど宿に泊まっているインド人の学生もその場にいて、彼も撮る。少年たちはその写真が欲しいとせがむ。E-mailで送ろうと思い、アドレスを持っているかと聞くと、パソコンの使い方さえ知らないというので、仕方なく日本に帰ったあとに送付すると約束する。しかし、このときの写真が、部屋の暗さのせいと自分の拙い撮影技術のせいでよく取れていなかった。送付するときには、下手な写真に加えて、中田のプロマイドでも送ればよいか。。。もう、時間が9時を過ぎていて、明日の朝は8:02からモスクワ行きの列車に乗るようになっていたので、少年たちにそのことを伝えて、みなと握手をしてさよならをする。
部屋で明日の準備をしているとスイス人のパトリックが戻って来て、マガジン(売店)で買ってきたビールを一緒に飲む。また今日もいろいろな旅の情報交換し、スイスのこと、日本のことをあれこれと話す。そして、明日は早く起きなければいけないことを伝え、お休みを言って(パトリックは「お休みなさい」という日本語を知っていた)、ベッドにもぐり込んだ。