キエフ(2003/04/21)
eawind
今日はモーニングコールを8時に入れてもらうようにしていたが、列車に乗り遅れては大変という緊張感から、5時くらいから途切れ途切れに目を覚ましていた。8時にベッドをでて、ホテルの16階にある展望レストランにサービスのビュッフェ形式の朝食を取りに行く。列車でおそらくまともな食事を取れないだろうから、多めにしっかり食べておく。
9時前にはホテルを出て、9時ちょっとすぎには駅に着く。ホテルから駅までは歩いて10分くらいだ。駅につくと出発のホームを探すが、なかなか見つからない。インフォメーションカウンターに行って、聞いてみると、モスクワからクメルニツキー行きの列車を待てという。言われたとおりにホームに行くとちょうどその列車がホームに入りかけていた。本当にこの列車で大丈夫だろうかと思って、駅員に聞いてみると、新しく連結する車両に乗れという。列車の先頭に行って待っていると、キエフ発ブダペスト行きの車両が連結される。早速乗り込もうとすると、この列車ではないという。連結された列車はもう一両あって、こちらはセルビアのベオグラード行きの車両である。何がなんだかわからないながらも、列車に乗り込む。
列車はすべてコンパートメントになっている。しかも二人部屋のコンパートメントである。中国から数々の列車に乗ってきたが、四人部屋のコンパートメントばかりだったので、この贅沢な間取りに驚きである。同室には中年の大男が乗っていて、なんか怖いなと思いつつ乗り込む。そのおじさんがどこに行くのかと聞いてくるので、ブダペストだと答えると、この車両は違うから、あっちの車両に移れという。しばらくすると、検票に車掌がやってくる。今日の車掌は珍しく女性である。彼女にチケットを見せると、間違ってなく、このベッドで合っているという。まったく不案内な列車であった。
列車は線路脇に並木が延々と続くウクライナの田舎に入っていく、そんなのどかな風景を眺めながら列車の旅は続く。たまに部屋に戻り、おじさんと会話する。彼は現在40歳で、ヤルタに住んでいて、これから仕事でブダペストまで行くという。しかし、国境手前のムカチェヴォという駅で降りるという。なんだかよくわからないが、とりあえず、「うんうん」と頷きながら話を聞いている。後でわかったのだが、国境では長い検問と、車輪の交換があって、ここで3時間くらいをロスするのだが、彼はバスに乗り換え、時間短縮してブダペストまで行くのだという。中国とカザフスタンの国境でも車輪交換があったが、ここでもまた行われるのだ。ということは旧ソ連領の国々だけ車輪の規格が違うということなのだろう。
昼過ぎに列車は途中駅に到着して、停車時間が20分強あった。中国からずっとそうであったが、車内に停車駅と停車時刻が記されたダイアが張ってある(たまに貼ってない不親切なものもあるが)。ホームに下りて売り子からアップルパイやラビオリ、それにチキンを買って車両に戻り昼食を取る。さっとこれらを食べ、また外の景色を眺めたり、おじさんと会話したりして(私のロシア語が拙いのでわかったりわからなかったりだが・・・)、午後の時間が過ぎていく。夕食の時間になると、おじさんがもっている紅茶をくれて、昼の残りを食べながら食事をとる。暗くなるころ、車掌から国境通過時の持ち物検査票をもらう。しかしすべてウクライナ語である。ロシア語なら辞書を持っていたので、何とか理解できたかも知れないが、ウクライナ語はまったくわからない(ロシア語に似てはいるようだが・・・)。カザフスタンの入国時にもこれと似たものを書いたが、あの時はロシア語と英語の表記がなされていた。まごついていると、おじさんが貸してみろといって、代わりにこの用紙に記入してくれた。9時になると、今日最後の長時間停車駅を過ぎて、就寝することにした。